ヒロコアラカ記

Hiroko Arakaki / アラカキヒロコ の公式ブログ

がんのはなし #3 - おめでた、そして告知の巻

※直腸がんにかかった筆者の体験記録のシリーズです。前回記事は がんのはなし #2 - 大腸内視鏡検査の巻

はじめてのおめでた

大腸内視鏡検査で腫瘍が見つかって検体の検査結果を待つ1週間、不安げな夫の横で私は『最悪の可能性もあり得る』とは思いつつもわりと楽観的に構えていた。(かつてストレス過多な時期もたしかにあったが、)もう何年も毎朝清々しく起床するくらいには基本的にストレスフリーで健康的な日々を送っているし、なにより実際元気なのだ。悪い未来ばかり想像して心配しすぎるのもまた体に良くないのでは、と思った。
とはいえ、もちろん健康には今以上に気をつけたほうがいいのは確かなので、国民健康保険証についている今年度の子宮頸がん検診クーポンも有効なうちに活用するぞ、と近所の産婦人科クリニックへ行った。

エコー検診が始まってほどなく、先生が言った。
「あれ?おめでたですね」
(・・・!)
たしかに生理は遅れていたが、よくある生理不順とばかり思っていた。

私たち夫婦は子どもが欲しかった。ただ、だからといって思い通りすんなりいくわけではないこともこの頃は実感しつつあった(こればかりは人それぞれだと思う)。私も30代後半なので妊娠率が下がっていたりするかも、などとちょうどあれこれ気になり始めた時期で、先輩に相談するなどして、大腸内視鏡検査を受ける少し前には排卵チェッカーまで買っていたのだった(そしてどうやら早くも使用期限内には使わなそうな感じになった)。

エコーの白黒モニターに映し出された子宮の中に、ぽつんと小さな黒丸が見えた。先生は「今、写真をあげますよ」と言うが早いか手元でサッと画像をプリントアウトして渡してくれた。
「まだ2週目くらいかな。もう2週間ほどすると赤ちゃんの形が見えてきますよ。2週間後にまた来てくださいね。」

初めてのことでいまいち実感が湧かず全体的に「ほぉー」と人ごとのような反応をしてしまうが、『この人望まない妊娠だったのか?』という疑義が生じかねないと思い、「よかったです。一年経って子どもができなかったら、不妊の受診しようかと思ってました」と言った。とたんに看護師さんたちの目が細くなり、安堵のような祝福のような、小さな笑い声が上がった。

帰り道を一人で歩いていて、ようやくゆっくりと感情が込み上げてきた。それは「私のところにも赤ちゃん来てくれたんだ」という感謝にも似た嬉しさと、「夫に早く伝えたい」ワクワクだった。

帰宅後、「どうだった?」と不安げな夫。腫瘍が見つかった妻が今度は子宮頸がん検診に出かけたので当然だが、市のクーポンなので検査結果は1ヶ月後に郵送でしか届かない。それはさておき、
「おめでただって」
と言うと、夫はとたんに満面の笑みになった。
「やった!!」と抱きしめてくれたかと思ったらほどなくして買い物に出かけ、妊婦が飲めるカフェインレスのドリップコーヒーやお茶系のパックなどいろいろ買いこんで戻ってきた。そして、いそいそと夕ごはんの調理を開始、出てきたのは鯛汁であった(おめでタイ)。まんが日本昔ばなしのような素直な流れだ。夫は、めちゃめちゃ情が深く素直な人なのだ。
安定期に入るまでは知らせるのは両親だけにとどめておこう、と話して双方の実家に連絡し、密かにわーいわーいと喜んだこの時の我々は、腫瘍のことすら忘れてしまえそうだった。

告知の日

しかし、そうこうしているうちに検査結果の日はやってきた。
この日は夫婦そろって診察室へ。A先生が口を開く。

腫瘍は、がんだった。

その可能性も想定していたはずなのに『え……』となった。痛覚こそないが、胸にズキンと衝撃が走る。
曰く、腫瘍マーカーがそんなに上がっていないのでそんなに進行していない可能性もあるが、とにかく大きな病院に行って、すぐ詳しく検査をしてもらってくださいとのこと。
「うちの場合、まず那覇市立病院を紹介しているけど」と先生。那覇市立病院はうちから近くてありがたい。
「誰か親戚や知り合いの先生はいたりする?」
はい、います。いとこがそこに。
では、ということで早速3日後に受診が決まった。
こうして私の癌治療ホーム、総合病院へのシフトは実に滑らかに決まったのだった。

AYA世代のがん患者になるという展開が衝撃だったのは確かだが、どうもベルトコンベアーに乗せられているような、おあつらえ向きすぎる展開で苦笑してしまった。
患者(私)、まずお膳立てされ診察を受けます、もう翌日には内視鏡検査(前回記事参照)します、ここでがんが判明し、そのとき紹介される精密検査もできる総合病院は患者の家から車で10分もかからぬ所にあり、かつそこで、患者の疾患の治療にぴったりの医師(患者のいとこ)が働いているので主治医になります。
都合のいいドラマみたいである。
裏設定もちゃんとある。患者は奇しくもそのいとこ(Fちゃん)と同じ時期に医学部を目指し受験生をやっていた。患者本人は医学の道に進まなかったが、その枝分かれした道の先に、がん患者&主治医としてセットアップされたのであった。そうきますか、シナリオライターよ。

さすがに、告知後ロビーで会計を待つ時間は夫婦揃って心許なさの極地だった。なんだか嵐の始まりに物陰で身を寄せ合う小動物のように無力な感じで、手を握り合ってじっと座るほかない。
「大丈夫だから」「最後までずっとそばにいて支えるから」とケアの言葉をかけてくれる夫は絶対に気丈に振る舞っており、この人が伴侶で私は幸せ者だと思うと同時に、結婚して1年と経たないうちにこんなことになって、かわいそうなことをしてしまったと思った。

まだ2〜3週目の赤ちゃんはどうなるのだろう。夫は、「もし、赤ちゃんかあなたの命どちらかを選ばないといけないのだったら、僕はあなたを優先する」と言ってくれたが、私は同意しつつも、内心天秤の前にあらゆる確実・不確実なものや気持ちを並べてまごまごしていた。夫と家族の気持ち。赤ちゃんの週数。自分のがんの進行具合。余命。赤ちゃんの命。命の定義。赤ちゃんがなぜやって来てくれたのか、あるいはやって来てしまったのか。私はなぜがんになったのか……。
そして、医療技術は進歩しているのだし、なんとかして妊娠を継続しながら治療する手段もきっとあるはずだ、でもいずれにしろ新主治医に訊いてみなければわからないや、というところで行き止まり、宙ぶらりんの数日が過ぎていった。

(続く)


2022.8.29 追記 鯛汁の思い出

2022.8.30 訂正 
誤)ぽつんと小さな白丸 → 正)ぽつんと小さな黒丸

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#1 - はじめに
#2 - 大腸内視鏡検査の巻
#3 - おめでた、そして告知の巻