ヒロコアラカ記

Hiroko Arakaki / アラカキヒロコ の公式ブログ

がんのはなし #1 - はじめに

※この記事は主に大腸がんに罹患した筆者の経過や心境について書いています。


AYA世代のがん

2018年のデータによると、日本人の2人に1人がその生涯でがんと診断されるとのこと(*1)。非常に身近な疾患といえます。
とはいえ、30代女性の1人としては、子宮頚がん・乳がんは気をつけるものの(定期的に検診受けてる)他のがんのリスクを本格的に案ずるのは40歳過ぎからかな、ぐらいの感覚です(でした)。私の場合、年に2回ほど貧血のための鉄剤を処方してもらっていたのでそのたび血液検査も(特定健診とは別に)していて、一応数値も貧血気味なこと以外はすべて良好と毎回言われており、なんとなく健康なつもりでいました。

が。

なっていたのでした。大腸がんに。
まじかよ、と。
いわゆるAYA世代(=Adolescent and Young Adult、思春期・若年成人)のがん患者(*2)ということです。

いや、でもたしかに、もう何年も下血していたんだよな。
ただ血縁者にもがんは少なく、まだ心配する年齢でもなさそうだし、かつて病院で「痔になりかけで、よくあること」と言われた記憶もあいまって悠長にしていました。
ところが腸の調子が本格的に悪くなり、自分でも「これは変だぞ、そのうち病院に行こう」と思い始めて家族にそんな話をポロッとしたところ、母が私よりも先に私の診察予約を取ってくれて半ば強制的に即刻受診、内視鏡検査。それがきっかけでがんが判明したのでした(母ありがとう……)。

病状と経過

大腸(直腸S状部)のがんがステージⅢ以上の進行がんであるとわかったとき私は妊娠初期でした。しかし、「妊娠継続しながらのがん治療は難しい」という現実に直面してしまいました。
夫とも事前にいろんな場合を想定して話し合っていたし、詳しい説明を受けて状況もよく理解できたものの、聴いたその日は具体的に物事を先に進める心が決まらず、1週間の時間をもらった後で、私の命を優先する治療を行うために中絶の選択をしました。
そして5月初旬に、腫瘍とその周辺の腸+隣接するリンパ節の切除と、1箇所だけ転移が疑わしかった肝臓上部(の一部分)の切除、という2箇所の腹腔鏡手術を受け、9日後に退院しました。
術後の病理検査の結果、幸い肝臓に転移はなかったものの、がんが直腸S状部リンパ節に浸透していたためステージⅢbという診断になりました。
手術を終えたのでこれから半年の抗がん剤治療に入る予定です。

国立がん研究センターがん情報サービス
がんの冊子 各種がんシリーズ
103「大腸がん」p14を撮影

ただ、使用する予定の抗がん剤が卵巣の機能を低下させ、妊孕性(*3)にダメージを与える可能性が高いため、その前に今、妊孕性温存治療を受けているところです。

ケアについて思う

がんにかかってまず気付かされたのは、とにかく自分が回りの人たちに恵まれていたこと。信頼できてなんでも訊ける主治医と、助けてくれる家族、特に食事から何から生活を全面的に支えてくれる夫がいること。これは本当に感謝してもしきれません。
進行がんとわかって以降は(どん底まで絶望した数日以外は)物事の捉え方が変化してむしろ心の状態は以前よりもいいぐらいで、今は病気をきっかけに自分の思考や生活を見直す方に目が向いています。それも安定した環境あってのことだなと。術後の痛みや回復過程の体の不調に困ったりももちろんしますが、それがさほど大きな問題に感じられないのは、環境が、そして自分の精神が安定しているからだろうと感じています。

私本人よりも、親身になればなるほど(自分の身体ではないので)どうすることもできない現実に直面し続ける夫のほうがむしろ精神的ダメージを受けるようで、まさに家族・近親者は第二の患者(*4)であること、そしてそのケアの重要性を痛感しています。

私が今回お世話になっている那覇市立病院には(がん診療連携拠点病院なので)がん相談支援センターが設置されていて、ご自身もがんサバイバーであるがん専門の看護師さんが初回受診時からついてくれています。必要な情報の提供をしてくれるだけでなく、泣いている時にただ側にいて一緒に時間を過ごしてくれたりもするし、そのサポートは柔軟です。病院内だけでなく電話でいろいろ訊くこともできます。これは、患者本人だけでなくその家族にとっても、サポートにアクセスできる安心感が常にあるという点で大きな助けになっていると感じます。

心持ちの変化

私と夫はこの数ヶ月、感情のテーマパークに迷い込んだかのように動揺し、絶望する一方で、感動したり、不安から急速に安心したり、予期せぬ学び(発見)に驚いたりもしました。
そうしたさまざまな体験と感情はなるべくよく味わうようにしていますが(昇華できているかどうかはさておき)、それはがん発覚時にちょうど読んでいたガボール・マテ氏の著作『身体が「ノー」と言うとき』に示唆を得て「感情を抑圧しないように」過ごしてみようと思ったことも大きく影響しています。
ここで言う「感情を抑圧しない」とは、私の認識するところでは、たとえば「怒りを感じたから積極的に怒鳴る(感情の起伏を逐一他者にもわかるように表現する)」というようなことではなく、怒りを感じたら「今、自分は怒っている」、悲しいときは「今、悲しい」と自分のあらゆる感情を敏感にとらえ、そしてその感情をプラス・マイナスにかかわらず肯定したうえで存分に感じ切る、ということです。
加えて、「自分のどんな思考ががんに影響したのか」「なぜ直腸なのか」にも興味が湧いたので、がん治療と並行して心理療法のセッションも受けています。

「病が人生の転機になる」話をよく聞きますが、実際私にとっても今回のがんは感情と身体の深い相関関係について見直す契機になり、また他者や外界の捉え方に大きな気づきをもたらしてくれています。そういう意味では感謝している部分もあり、病院のベッドで寝ているときには「こんな短期間にこんなにも人生に変革をもたらしてくれるものってなかなかないのでは」とふと、自分の置かれている状況がギフトのように感じられたりもしました。

書いてみる

今回、病院のスタッフさんや親しい友人知人が何人も先輩当事者として「実は私も…」と体験をシェアしてくれたのですが、それがとても心強く、経験者の言葉がどれだけ支えになるかを身をもって体験しました。そして私自身が、手術だけでなく、CTの造影剤の副作用、子宮収縮剤の痛み、術後の腸の不安定さ、妊孕性温存治療の注射ラッシュ、その他さまざまな経験をした(まだする)ことで、この先は同じように病気に直面する方には当事者として向き合えることにも気づきました(もちろん自分が可能な範囲ではあるのですが)。

病気が発覚してからこれまで自分の心境を話す中で、夫や、先輩や、リハビリ担当の理学療法士さんなどから「それ(経験や気持ち)、どこかに書き残しておいたら?」と同じような言葉をもらい「それもいいかもな」と思ったのもあって、こうして書いてみています。(個人的には公にしておいた方が気が楽というのもあります。)

とにかくがんと向き合うことになって以降の様々なことを自分の考えの整理やメモも兼ねて記事を分けつつ書ける範囲で書く予定ですので、興味のある方は(読んで差し支えのない心理状態であれば)読んでみてください。

ちなみに現在、オファーいただくお仕事の中にもできるものはあるし(治療のタイミングやそれに伴う体調との兼ね合いでできないこともありますが)、わりとなんでも食べ、もっと運動・筋トレをすべしと指導を受け、前とほぼ変わらない生活をしているぐらいには私は元気です。

余談ですが、琉球大学病院がんセンターの「地域の療養情報 おきなわがんサポートハンドブック 〜支え合う、あなたと大切な人たちのために〜」は、お金のことも含めがんにかかってしまった場合の総合的な情報が載っていて助かりました。こういった冊子・サイトは全国の都道府県にもわりとあるようです。(地域のがん情報:[国立がん研究センター がん情報サービス 一般の方へ]

*1:最新がん統計:[国立がん研究センター がん統計]

*2:小児・AYA世代のがん罹患:[国立がん研究センター がん統計]

*3:日本がん・生殖医療学会WEBサイト | 妊孕性/妊孕性温存

*4:がん治療~家族のサポート 家族は「第二の患者」|がんを学ぶ ファイザー